まず最初に。
私の実家は神社です。よって、日本の土着信仰としての宗教を信仰していると思って下さい。
より一般化している宗教への理解もありますが、ここ最近(100年くらい)に起こった宗教に対しては、まだ宗教以前の思想団体と理解しています。
また、宗教は個人および個人が属する文化や環境をいい意味で守るものであって、特定個人の利益に供する、またはなんの行動も起こしてない個人に対して不幸を呼び起こすような言動をする行為は宗教と認めていません。

ここ最近、脳死問題をめぐって、いろいろと議論されているようです。
私のスタンスとしては、臓器移植法成立当時から、私の信条として、家族または家族に相当する人の間での臓器移植・提供はするけれども、そのほかの人からの提供は受けない、としています。
脳死に関しても、医学が全能と思っていませんので(医学の進歩には本当にお世話になっていますが、人間の限界としての医学の限界はあると思うので)、脳死と確定するには、かなり審議・検証された基準を用いて、さらに家族や第三者の意見も加味してから、死を迎えなければならないと思っています。
ただ、けして、臓器移植を否定するものでもありません。
個人の信条として、臓器移植を望み、与えたいと思っている人々の間であれば、その機会が失われてはいけないと思うからです。
なによりも、人の生死にかかわることです。
臓器は、単なる部品ではないのです。

日本には宗教的思想がなく、哲学がある、という日本人がいますが。
じつはそれこそ、日本人的な宗教観ではないかと思います。
特定の宗教を信仰している人は、今の日本人は少ないと言えます。宗教のリサーチを見ていても、仏教と神道が日本人の大半を占めるとしていますが、厳密な意味で、寺と神社、どう違うのか、神道と神社がどのような関係にあるのか、説明できる人は少ないのではないでしょうか。
日本人が、雑駁に宗教を語るとき、または哲学を語るとき、実は、非常に日本的な宗教観が表れているような気がします。また、伝統文化を残すには、その土地の宗教を残す意味もあるのですが。日本はこれが公には補助できないことになっているので、地方の伝統文化というのは、危機的な状況にあるともいえるのですが。これに気が付いている一般の人は少ないのでは。。。

あ、ひさびさに考えちゃいました。。