本日の自腹購入。

私のお茶の師匠は、もと女学生です。生きるためだけには、非常に無駄に高度な知識をおもちです。たとえば、吾妻鏡をそらんじているとか。今考えれば、生きるためだけには非常に無駄。でも、師匠の場合、それがあってこそ、手に職をつけ、生き甲斐になってきました。
たとえば、1を聞いて10を知るというのは、ある程度の理解力と想像力が必要です。
計算式だけを機械的に行うような教育では、もちろん、涵養されません。という意味においては、ゆとり教育総合学習というのは有効であったはずです。うまくいかなかったのは、それを展開する側と受け手に問題があっただけの理由です。スキルと理論、両方に重点が置かれて上手くいくのよね、というのは、どんな人もわかる論理のはずですが、実際に展開となると難しいのでしょうね。
なんだか愚痴のようになりましたが。ま、大正浪漫的な女学生の姿を描いた新書がでました。まだ斜め読みですが。ふむふむ反面、え〜、そうかなあ反面。ちょっと面白い本ですね。
女学校と女学生―教養・たしなみ・モダン文化 (中公新書)